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2011.02.13
慈恩寺を後にして今度は川越市の街並み(小江戸)に向かいます。
最初は喜多院に寄りました。
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喜多院は、五百羅漢やダルマ市(1月3日)で知られています。
天長7年(830)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられています。
永仁4年(1296)、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し、北院・中院・南院となる各房が建てられました。
喜多院となったのは慶長17年(1612)、徳川家康の信任を得る天海僧正が、住職となってからのことです。
寛永15年(1638)、大火によって喜多院のほとんどを焼失。3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築しました。
それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになり、江戸城唯一の遺構として残されることになりました。
客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があります。
これらは、慈眼堂・山門などとともに重要文化財に指定されています。 インターネットより
 
喜多院は二年前にパソコン仲間と来た事があり、五百羅漢などありますが、今回は本堂にお参りだけとしました。
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次いで隣の仙波東照宮に向かいます。
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三大東照宮と言われているようですが、どうも三大の内の三番目は地元の事が多いようでその土地土地によって三大は変わるようですので・・・
本当かどうかは皆さんが・・・。
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喜多院の南側には、仙波東照宮があります。元和3年(1617)、家康の遺骸を久能山から日光へ運ぶ途中、喜多院で法要が営まれたことにより、後の寛永10年(1633) に建立されました。
日光・久能山とともに三大東照宮といわれています。現在の建物は寛永17年(1640)に再建されたもので、重要文化財に指定されています。     インターネットより
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喜多院駐車場から今度は本丸跡の無料駐車場に向かいます。
ここからはいよいよウォーキングになります。・・・・次回に。
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