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2011.04.19
 
国分寺市にある「国分寺」の近くを通りましたので久しぶりに寄り道して来ました。
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もう何年前になるでしょうか?
ここは三億円事件で有名な所で府中刑務所が近くにあり、この国分寺のそばに車が乗り捨てられていた所です。
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寺伝(医王山国分寺縁起)によれば「新田義貞朝臣此の地の分陪河原にて合戦の日当寺の堂塔伽藍一時に焼亡せり」とあり、武蔵の国が総力を挙げて建立した大伽藍も、この戦いで惜しくも灰燼に帰しました。元弘3年(1333)5月のことであります。
そもそも諸国に国分寺が建立されることになったのは、天平13年(741)3月24日の詔(続日本紀)によりますが、聖武天皇(701~756・第45代)がこの詔を発せられるに到った動機は、当時大流行した疫病(朝鮮半島から九州に入り全国に蔓延した天然痘)と飢饉から国を護り、国民を救うことでありました。その「国分寺創建の詔」には「朕薄徳を以って恭く重任を承け、未だ政化を弘めず寤寐多く慚づ一畧一頃者年穀豊かならず、疫癘頻りに至る一畧一広く蒼生の為に、遍ねく景福を求む」とあり穀物の不作による飢餓や、当時の医学では如何とも成し難かった病気の流行を、仏のカにすがって鎮め、国民を幸せにしたい、との強いご決意の様子が伺えます。また皇后の長兄に当たる藤原武智麻呂(藤原不比等の長子)など4入の兄達の相次ぐ病死や、全国の多数の餓死、病死者の菩提を弔う意味もあられたことでしょう。それら多くの要因があって発布された詔であります。 インターネットより
 
 
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万葉植物園は、国分寺が建立された頃、編まれた歌集で、中には万葉の歌人たちが植物に託してその心を歌ったものが多くおさめられている。そこで、跡を訪れる方々に、植物を通じ、またそれらを詠んだ歌を通じて当時の人々の考え方や生活などを知って、その昔をしのぶ一助にしてもらいたいとの意図のもとに造られたのがこの万葉植物園である
これらの植物は、当時住職星野亮勝が、昭和25年から38年までの13年間を費やし独力で採集したもので、現在では、当地にて栽植の及ぶ限り、約160種(他に各植物約700種)が8,019平方メートルの園内に植えられています。 インターネットより
 
 
 
植物園にはイカリソウ、シャガ、シャクヤク、ヤマブキ、シャクナゲ、ボケ、サクラソウなどが咲いていました。
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近くには「お鷹の道」がありますが雨がぽつぽつ、全部を回らず、ほんのさわりだけ撮って来ました。
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江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていたことから“お鷹の道”と名づけられました。現在遊歩道として整備され、多くの人々に親しまれています。 インターネットより
 
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