2012.04.20
午後の部です・・・昼食が終わり1320分出発で残りの5ケ寺を回ります。
 
 
札所13番 旗下山 慈眼寺(きかざん じげんじ)
  
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秩父札所13番寺の入口には薬医門と呼ぶ切妻造りの黒門があり、高い地輻をまたぐと左手に鐘楼、右手に経蔵と薬師堂が並んで建ち、正面が観音堂です。1878年(明治11年)3月の秩父大火で焼ける前の堂は広壮なものだったが、1901年(明治34年)頃再建されたのが今の堂です。三間四面の小柄ながらも華麗な装飾を施した堂であります。秩父札所13番の本尊は行基作といわれる聖観音で脇仏は阿弥陀三尊。その一体が前述の火災の際に火をかぶり今も痛々しいお姿ながら残ります。この寺には、一切経輪蔵があります。堂の中心に輪蔵形式の経庫があり、心柱の上に六角灯篭型の経蔵を置いて回転するようにしたもので、正面に釈迦像を安置し、他の五辺には黄檗版一切経1630巻が収めてあります。これを回転すれば必要な経文が取り出せるし、回しながら礼拝すれば読誦したのと同じ功徳があると言われます。なお、秩父札所を開創した十三権者の像がまつられているのは、秩父札所13番寺であります。経蔵の隣にある薬師堂は、薬師瑠璃光如来即ち目の神様として「め」の文字を入れた絵馬がたくさん奉納されております。     インターネットより
 
目の病気治癒にご利益があるとして名高い古刹だそうです。
境内右手にある経蔵で真ん中にある柱を中心として回転するように造られた輪蔵形式の経庫があり、これを3回廻しながら礼拝すると全てのお経を読んだのと同じ功徳があるそうです。
納経所では、目薬の木のお茶を振る舞ってくれていました・・・私も飲んで来ました。
 
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札所14番 長岳山 今宮坊(ちょうがくさん いまみやぼう)
 
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秩父札所14番寺の近くには今宮神社があります。この神社と今宮坊は同じところにありました。長岳山正覚院金剛寺といい聖護院直末の寺で修験道の大宗でありました。秩父札所14番の屋根に宝珠をのせた観音堂は、間口奥行とも三間の方形造りの飾り気のない端正な建物で、本尊は1尺9寸(約57.6cm)の木彫漆箔置き・半跏趺坐像の聖観世音です。701年役行者が、この社の境内の池に、仏法を守り水を司る神として八大龍王をまつったところから、今宮神社は八大宮とも呼ばれております。秩父札所14番観音堂は、元来今宮坊の境内にある一堂宇で、巡礼者は八大宮をお参りしたのち参道を通って隣接の観音堂にお詣りするのを通例としていました。むかし、秩父へ武田軍が攻めこんで来た時、石原某は信玄の勘気にふれて切腹を命ぜられました。石原はこのお堂にこもって終夜観音様を祈りつづけていました。すると切腹直前に早馬が来て許されたという話が伝わっております。                                        インターネットより
 
 
本来は長岳山正覚院と言って、修験道の本山で有名な聖護院の直接の末寺だそうです。
観音堂手前には秩父札所では珍しい輪廻塔もある。
 
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本堂のすぐ前に、石の後生車があります。手で回せるようになっております。後生の幸せを願って、祈りつつ回している人が多いです。これも観音様の御利益です。多くの巡礼者がこれを回し、ご利益を受けております。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
札所16番 無量山 西光寺(むりょうさん さいこうじ)
 
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札所16番寺の無量山の額を掲げる山門をくぐると正面に本堂があります。秩父札所16番の堂の東側には前庭を囲むコの字形の回廊堂があります。中には四国八十八ヶ所霊場の本尊を模した木像が並んでおります。1783年浅間山大噴火により命を失った人や家畜の精霊菩提のため造営されたというが、これを拝めば四国遍路を果たしたと同じ功徳を得るといいます。この回廊堂に囲まれた中庭には二つの小さな堂があります。一つは四国八十八ヶ所に縁のある金比羅堂、もう一つが中に観音をまつる納札堂であります。。今では札所中唯一となってしまったこの納札堂だが、その柱には無数の釘跡が残っていて、当時の殷賑ぶりが想像できます。札所を巡拝することを「札所を打つ」といいましたが、こうした行為から生まれた言葉であります。こんな話もあります。あるとき住職が月を眺めていると、老婆が現れて、「生前欲深だったので、死んでも苦しんでいる。ここへ観音様を導くからぜひ冥福を祈ってもらいたい。」といった。やがて千手観音像が到来したので、老婆の冥福を祈ったといいます。                                       インターネットより
 
 
四国八十八ヶ所霊場の本尊の写しを奉納した回廊があり、ここの御本尊を全部拝むと四国霊場をお詣りしたのと同じ功徳があるとされていますそうですので
私も回って来ました。
 
 
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秩父の札所の中で唯一現存する札堂だそうで かつての巡礼では参拝者が用意してきたお札を納札所に打ち付けていたそうです。
現在は御朱印などに変わってしまったため他の寺社では札堂は
残されていませんが、この西光寺の札堂には当時の釘の跡などが
残されていました。
 
 
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四国八十八ヶ所回廊堂の中に、オビンズル様が坐っております。このオビンズル様は体の悪いところを治してくれると言われております。肩や腰、腹等悪いところのある人は、右手で自分の患部を撫で、その手で、オビンズル様の同じところを撫で、更にもう一度自分の患部を撫でるのであります。オビンズル様の頭や肩、足等が光っているのは、大勢の人が撫でた跡です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
札所17番 実正山 定林寺(じっしょうさん じょうりんじ)
 
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壬生良門という殿様が狩りに来て近くの寺で雨宿りした。利口そうな坊主がいたので名を尋ねると以前忠言に立腹して追放した林定元の遺子なので驚いた。殿様は怒りっぽい性格だった。そこで前非を悔い林定元をともらうため建設したのがこの秩父札所17番寺と言われています。秩父札所17番は1963年に再建されたもので、ここに掛けられた銅鐘は、高さ138cm、直径77cmで、鐘の周囲全体に西国・坂東・秩父百観音の本尊を浮き彫りにし、各寺の御詠歌を刻みつけた見事な物です。この鐘の由来は、昔ある人が妊娠の身でありながら秩父巡礼に出ました。途中17番付近までくると急に産気づき、赤子を産み落としてしまいました。困り果てた女は赤子を油紙に包み、寺のほとりの沼に棄てて巡礼をつづけ、やっとのことで結願を果たしました。家へ帰ってみると、捨てた筈の赤子が土間に立っている!驚いてそこを掘ってみると土の中に定林寺のご本尊の姿が浮かびでました。女はわが身の行為を恥じ、懺悔し、その罪ほろぼしに梵鐘をつくり寄進したのがこの鐘だといいます                                              インターネットより
 
 
定林寺の梵鐘には、西国・坂東・秩父の100観音が浮き彫りされ御詠歌も刻まれています
 
この寺はアニメ映画に良く出てくるようで撮影に人気の寺の様です。
又子供を遊ばせておいても怪我をしないそうです。
52030年前にはここが一番札所だったそうです。
 
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観音様と手をつないで来ました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
札所19番 飛淵山 龍石山(ひえんざん りゅうせきじ)
 
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秩父札所19番寺は起伏のある大きな砂岩の磐上に観音堂が建っている。三間四面の堂だが、柱間が他の札所の堂と違い、中の間15尺(4m54cm)、左右9尺(2m72cm)の変形なので堂々として見る目に大きい。秩父札所19番の本尊の千手観音は高さ1尺5分(45.5cm)の寄木造りの坐像で、室町時代の作と言われる。縁起によれば、弘法大師の作で、遠く京都から飛んで来てここに定着した霊験あらたかな尊像だとあり、山号の飛淵山はこれによるものだという。秩父札所19番は昔、ある年の事、ひどい日照りがつづき人々は飢えと渇きで苦しんでいた。この地を巡錫した弘法大師が雨乞いの業法を修したところ、突然大岩が二つに割れ大きな竜が天に昇った。間もなく大雨が降り、人畜草木ことごとく生気を取り戻し、五穀も豊穣となったという。   インターネットより
 
 
石が割れた間から出ている桜はど根性桜と言われているそうで成程石の上に・・・根は何処に?
 
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これで今日のスケジュールは終わり
前回よりは余裕でしたがこれも皆さんが慣れ?
・・・一路帰路へ(345分発)立川6時半着。