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2014.12.27
 
今日は玉川上水の話です。
 
多摩川の羽村市の堰から分かれて玉川上水が引かれています。
 
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その昔・・・だそうです。
 
江戸に住む人々の生活用水として活用しようという計画が実行されたのは、徳川家康が幕府を開いて50年後の1653年。関東の片田舎だった江戸の地だが、幕府が開かれたことで大都市に変貌。その結果、江戸の市民たちは慢性的な水不足に悩まされていた。幕府から命を受けた玉川庄右衛門、清右衛門兄弟が、羽村から四谷大木戸(新宿区/新宿御苑付近)までの約43キロにも及ぶ生活用水路・玉川上水を完成させた。    ンターネットより
 
 
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左側が多摩川・右側が玉川上水です。
 
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ここから延々と都内まで流れています。
 
今でも立川市の郊外北部には玉川上水が流れています。(水色の矢印)
駅も玉川上水駅なるものがあります(西武線)
 
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三鷹市付近のこの玉川上水に入水自殺をした太宰治は有名です。